2013年6月10日月曜日

息子が父を(一部)超えた日orz

久々にブログを書きます。

息子がくれた、父の日の手紙。

最近は他のブログをガリガリと書いていたので
自分のブログはサボり気味だったんだけど、
FBに書くのもピンと来ない感じなのでこちらでライフログ的に。

先日の出来事。

息子(5歳・幼稚園)と、あるレストランで食事したあと、店の外に出た時のこと。

エントランスのところに腕には和彫りのタトゥ、
足にもそこそこのタトゥが入った白色人種の外人さんがいた。

めんどくせーやつだったら鬱陶しいからスッと通りすぎようとしたら、
突如息子が「ハロー」と話しかけやがりました。
※内容は大体こんな感じ、というものです。

息子「ハロー」
相手「ハロー」
息子「名前は?」
相手「パブロだよ」
息子「僕は、はるき。どこからきたの?」
相手「スペインだよ。君は日本人かい?」
息子「そうだよ。」
相手「スペインはサッカーがすごい国なんだぜ」
息子「へえ。僕サッカー好きだよ」
相手の奥さん(日本人)「すごいね!」
息子「だって英語勉強してるもん。バイバイ」
相手「バイバイ」



息子よ、父を(一部だけど)超えるの早すぎやしないか。。。
「ちょっと話してみたかったんだー」だと。。。

ちなみに相手の外人さんには英語、奥さんには日本語で。

しかもスペイン人とのことで
相手の英語はそんなに上手じゃないように聞こえたが、
臆すること無く英語をツールとして、
英語が母国語以外の人間とコミュニケーションを取っていたことに
ものすごく驚くとともに、感動した。

そうだ。

英語は単なるツールで、それで何をするかが大切だ(きっと)。
だから、英語は2歳から学ばせていて、
大きくなってから英語を学ぶことに
力を注がなくても良いようにしたかった。
英語の歌を訳詞なしで聴き、
英語の本を原文のままで読み、
英語の映画を字幕なしで見て、
そして何より
英語で何かを学べるようにしてやりたかった。

正直お金が相当かかる。
キッツいなーと思いながら学ばせてきたし、
もちろん学校で英語に力を入れている分、
家庭での日本語教育も頑張ってきた(主に嫁が)。

そんな自分の服は、ほぼGUとユニクロとグラニフだ。
カネねーよ。

僕の周りの、英語を話せる留学やワーホリを経験している人に
「息子に英語やらせてるんだよねー」というと、
「その気になればすぐ覚えられますよ」と言われることも多い。
しかし僕は、英語を覚えるために大きくなってから費やす時間が
もったいないと思っている。

18や19のころに英語を覚えるためだけに
幼児のような会話から始めるのはもったいない。
幼児のような英語は幼児の頃にやっとけばいいんじゃないかと。

もちろん僕は経験してないので、この方針は間違っているのかもしれないけれど、
少なくとも自分は知らない外国人に英語で話しかける勇気も英語力も、
37歳現在未だに持っていない。

そんな、英語に対する想いを持って教育してきて、
それが少し実りつつ有ることを実感できた。

息子にとってもいい経験だったんじゃないかな。

パブロ、気さくに受け答えしてくれてありがとう。
君の右足に「食卓犬」というタトゥが入っていたのは忘れない。

2013年3月6日水曜日

はたらく理由


先日、ある方々と飲みに行ってきた。きっかけは、その中のひとりがFacebookにポストしたことに、僕がコメントしたことから話が広がったもの。

メンバーは、それはもう僕なんかがこの中に入っていいんですか?ってくらいお仕事の出来る方たち。でもせっかく誘って頂けたのだから、遠慮なく話をして来ようと思った次第。

なんのために働くのか。

食事をしながらみんなでワイワイと話していたのだが、やはり仕事が楽しくて仕方ないメンバーが集まっているので、自然と仕事の話になる。それなりにキャリアのある人たちなだけあり、組織のマネジメントや仕事(というかビジネス?)への向き合い方など、ざっくばらんに話せて非常に有意義な時間を過ごしていたのだけれど、その中で「佐藤さんはなんではたらいているの?」という問いかけをされた。

もちろん、このテーマは常に頭の片隅にあるし、僕だっていい大人だからとっさに答える「答え」も持っている。それは、

「常に何かに向かっていないと、僕という人間は、腐ってしまうから。」というもの。

要は、僕には働くのに大した理由なんてないのだ。

この「答え」ですら無いかもしれない「答え」は、僕なりに長く考えてきて至ったものだから、決して嘘や偽りはもちろん、適当に言ってる感じも無いと思っているのだけれど、本音で言えば、対外的にもう少しかっこいい「答え」が欲しかったりするときもある。だいたい、この「答え」は今の時点でのもので、明後日には変わっていることだってあり得る。

「答え」なんてそんな簡単に出ないよね

僕も人なりに挫折して、悩んで、落ち込んで、ちょっと引きこもって、そこから何とかいまに至っている。その引きこもってた時期に、「答えなんかでない」という「答え」を見つけた、ということで自分を納得させることに成功した。もっともその時悩んでたことは「なんで生きてるんだろう」とかいう、よくありがちなものだったのだけれど。

辛い思いからは逃げるべき

食事会のメンバーの一人がすでにブログにも書かれていたのだが、やっぱり僕らは僕らの為に働くべきだと思う。働く理由はたくさんあると思う。しかし、結局は自分のため。だから、つらい思いなんかしちゃいけないとも思ってる。

これは一面を捉えると「もっとゆるく生きようよ」とかいう感じで捉えられがちだけど、そうじゃなく。

辛いと思ってることに向き合ったって、どこかにそれを楽しんでる人間がいたら、その人より成果を出すのは非常に難しい。成果が出ることはひとつの成功体験につながって、もっと楽しくなる可能性が膨らむ。だから、嫌なことや辛いことなんかやらずに、楽しいことをやればいいと思う。その楽しいことを達成するために、毎日のちょっとした努力や、積み重ねが必要になるってのが「頑張ってる」状態なんじゃないかと思う。

はたらく理由なんてなんだっていいよね

人がはたらく理由は、正直“後付け”でいいし、自分本位でいい。自分にとっての幸せが何か、を考えることの方がすごく大切なのではないか。それを実現するための「一つの手段」なのだと思う。

何かを達成したいとか、お客様にありがとうと言われたいとか、それだって結局は全部自分のためにやることであって、仕事に関して言えば、そこに利害の一致があるから僕とお客様がお付き合いさせていただいているのだし。

突き詰めて言えば、いま僕が考えているのは家族の幸せだけ。家族が幸せでいるのにはお金がいるし、僕の精神状態も良好でなきゃいけない。だから、働く場所や条件、お付き合いするお客さんや仕事の内容なんかも大切な要素になってくる。まあ、家族が幸せ=僕が幸せなんだけど。

やっぱ真剣な人たちと話すと最高に面白い

今回の食事会のような、ちょっと考えこんじゃうようなコミュニケーションが、自分の考えを深化させてくれる。あとお酒飲んでるから、言いたいこと言っちゃうしね。

いい機会を頂いて、とても感謝しています。

2013年2月14日木曜日

UX&HCD セミナー & ワークショップ 2013.2.10


先日、UX名古屋主催・浅野先生によるUX&HCDセミナーに参加してきた。

浅野先生のセミナー&ワークショップは随分久しぶりだった。昨年もHCDのセミナー&ワークショップには少しだけ参加したが、様々な理由でちょっと意欲が減衰していた。しかしやはり得るものが多いと思うし、今年は浅野先生が教えてくださるので、できるだけ参加しようと思っている。

まずはサービスデザインとUX、HCDについて大きな視点で概論を話してくださった。その後カスタマージャーニーマップ作成のワークショップ。

久しぶりに聞くお話はやはり少しアップデートされている部分もあって、非常にわかり易かったし、以前よりわかるようになってる自分も確認できた。血肉になっている感じ。

参加者としてありがたいこと

浅野先生の講義は、スライドをA4に6枚ずつ面付けしたプリントを配布してくださる。これが非常に、非常にありがたい。

他のセミナーなんかだと「後で配布するんでメモはとらくていいですよ〜」と仰るスピーカーの方が多い。しかし僕らは写経がしたくてメモしてるんじゃなくて、単純に感想や疑問をメモしたいだけ。「後で配布〜」だと、どこの話に関する感想や疑問かというのを把握するために、必然的にサマリーをメモしなければいけないので、メモ量が増え、結果的にずーーーっとタイプしているということになってしまう。
正直、これは参加者としてはもったいない。

その点、先生のようにスライドを当日紙で配布してくださるとメモ量は激減。その結果講義に集中できる。

だけど確かにスライドのプリントはお金もかかるし、手間もかかるので大変。

であれば、テキストによるアウトラインでいいから事前もしくは当日に欲しい。これをしないのは、なぜだろうか。こういったところを見ても、先生の講義は経験値がぜんぜん違うのだろうなと思う。

浅野先生の講義

サービスデザインとは

いつもお話される「橋をデザインするのではなく、川を渡るシステムを作れ」がすべてを表していると思う。またフォードの話もしてくださる。「それまで馬車に乗っていた人に、何がほしいか聞いたら、もっと速い馬車がほしいと答えるだろう」

これらは、僕が社内でもよく話している「お客さんは広告を出稿したい訳じゃなくて、集客したいんだよ」というのと同じだ。基本だけど。

また僕らが普段行なっているモノづくりは、サービス(コト)のために行われる。そしてそれはユーザー体験(UX)を提供するためである。
ある人が言った、モノからコトへ、そしてヒトへ、という順序だと思う。

ユーザビリティからユーザー体験へ

この辺りのお話で印象に残ったのは、下記の分類。

  • 予期的UX
  • 一時的UX
  • エピソード的UX
  • 累積的UX

これは一昨年だったか、安藤先生によるサービスデザインの講義で取り上げられていた。これは非常に大切な考え方のように思う。人は、最初からユーザーなわけではない。

そして、必ずしもゴールへの到達だけがUXではなく、プロセスや状況にもUXは存在する。というか、今起きているすべてのことがX(エクスペリエンス=経験)だと思う。僕がこうしてMacを使ってアウトラインソフトでブログの概要をまとめているのもその一つ。そこをユーザーとしてくくることで、サービスに対する経験としているのだと思う。
HCDでは、良いUXにはユーザービリティがベースにあるという考え方だそうだ。しかし使いにくさもUXであり、それが良いUXにつながるケースも往々にして有る。



そしてスマートフォンの時代

いま最も人口の多い地域であるアジアやアフリカでは、PCを持ったことがない人々がスマートフォンを持っている。そしてその普及率は日本の比ではない。iPhoneも全然いないのだそうだ。
そして日本でも(特にサービス提供側の人間は)PCからスマホという流れがあるが、20歳前後から下の世代であるデジタル・ネイティブたちにはPCを持っていない人が増えている。この世代は我々とはリテラシーが違う。デジタル・ネイティブとは言えない僕も、テレビで気になることがあればすぐにスマホで調べるようになった。

ただ、ユーザーの文脈に合わないサービスは使われない。そして日本の成熟した社会は、人々が驚くほど多様化している。だから、みんなが使うサービスは生まれにくい。

また、スマホの中では完結しないサービスにどんどん進化している。
20110630homeplus_01
韓国の駅のホームでの買い物(参照元:ソシエタ|駅がスーパーマーケットに! カンヌを制したTESCOが韓国で仕掛けた秘策とは

我々は、ユーザーの体験をデザインすることが大切で、そのためにユーザーのことを知らなくてはいけない。そして、HCDの手法を利用するとより良くユーザーのことが分かるようになる。HCDはあくまで手法であり、学問ではない、と思う(なんか周囲に誤解している人がいる気がする)。

HCDプロセスについて

概論ということで、駆け足で説明してくださった。個人的なことを言えば、HCDプロセスについて到底身についたとは言えない。業務に取り入れた経験もあるが、それが正解かどうかもわかりづらい。しかし、何もやらないよりは、知見が貯まるという意味でも良いと思っている。

ワークショップ

今回のワークショップでは、カスタマージャーニーマップを作成した。スターバックスのものが有名。

(参照元:Little Springs Design | Blog | Improving the Starbucks Experience

まずは分解するところから始めるという意味で、いま勉強している分野と近しい部分もあり、非常に面白かった。
先日あるアプリを企画した時にも累積的UXを意識することで、その中のどの部分をアプリで担うかが明確になったし、感情の起伏を取り入れることにより、容易にサービスの問題点を共有することができる。
それと、先生も仰っていたが、やはりアイデアや気付きは体を動かすことによって出やすくなると思う。解決策は出にくいのかもしれないし、企画に落とすときは机上で唸る時間も多く必要だと思う。しかしその元となる部分は、複数人でワイワイと進めていくのが良いのではないだろうか。
というか、その良さは実感しているわけだから、社内でも取り入れて行きたいところ。

まとめ

やはり浅野先生のセミナー&ワークショップは非常にわかりやすいし面白い。そして先生の名古屋でのHCD関連セミナーも4年目ということで、ある程度わかっている人も出てきていて、迷ってしまっているチームは少なかったように思う。
以前から言っているが、HCDの手法は、少しワークショップに参加したからといって身につくものではない。だけど、知識として知っておくと現場で活かせる場面はそこかしこに出てくるように思う。しかも、他ジャンルのことを学んでいる時に点と点が線になることが往々にしてある。

少し前に、HCDの前は何中心だったの?というポストを見たけど、プロダクトや開発者中心設計な製品が多かったんだと思う。でもヒットしてる製品は、割りとユーザー中心になってたから、僕らの目に触れていないだけかもしれない。HCDってそういうものを減らすためのものなんじゃないかと。